2012年01月17日

貧困問題とワーク・シェアリングとホワイトカラー・エグゼンプション

ちなみに前の記事とこの記事はこの本に触発されました

もう一つ提示したいのがホワイトカラーの働きかたについて。ホワイトカラーいろいろあるが、ここではそれなりに熟練を必要とされる(主に)非肉体労働、スキルアップして職能をどんどん向上させていくことで収入も多少上がる可能性がある、といったような意味合い

で、ホワイトカラーで職業を持てた人というのは一旦は勝ち組。ただ終身雇用は崩壊したのでいつ転落するかという危機はあり、相対的な給料はどんどん安くなっているという問題はあるが。

この人達の労働時間は増加傾向で、残業代もでない(フレックスタイムや裁量労働)中、夜中まで働いたり休日出勤が当然になっている、プラス、このクラスに入るための競争は極めて激化している (就職難)。で、仕事は減らないのに人は減る!

このクラスにもワーク・シェアリングが必要だ。
乱暴に言うと給料と労働時間を3分の2にして人数を1.5倍にするべきなのである。もちろんそう簡単な計算はできないんだけど。

というか、マクロ経済的に考えると、ハッキリ言って世の中には全員を雇用するほどの(金銭的価値を生み出す)仕事ないんですよ。だけど、一部の人が24時間仕事ばっかりしているから仕事にあぶれる人がいる。だから犯罪や風俗産業や悪質な娯楽がその内の一部の人達に経済的価値を分配するための必要悪として出てくるわけじゃないですか。

それで、ワーカホリックな高給者、高技術者ほど自らワークシェアを促進させるということがより公義な分配につながるのかなぁと思う。そうすると、現在はそれほどではない人が高給者、高技術者になるわけだし(そのための社会的コストはあるんだが、十分なメリットがある)。そのために、ワークライフバランスの適正化がワークの効率化にも効果大だということが受け入れられると効果的だと思う。つまり例えば知的労働者について労働時間が半分だけど労働効果は60%、70%の価値を生み出せるということになれば、ワークシェアが促進できる。

そして恐らくそのためにライフの時間をどう使うかがポイントだが、こどもの教育、家族の運営、芸術活動、スポーツ、精神的活動、ボランティアなど、そういうことだと思う。そこで精神的に成長すれば、経済活動にもプラスのフィードバックとなる。



もちろん、摂理にきて宗教活動するのが一番いいですけどね




posted by アークツルス at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本の貧困問題とワーク・シェアリング、そして摂理について

さて、日本でも、貧困問題が進行している、と感じる。

このリンクを摂理-出会いと対話-ポンソク牧師のブログより見て欲しい。
主は先生の口を通して「分かち合わなくちゃ」とおっしゃった、というのが、アークツルスの心に残っている。

この記事の核心は「愛する心」だったりするので、少し離れてしまうが、アークツルスが感じていることを書く。

分かち合う、すなわちワークシェアリングだ。ただ私が知るかぎり、ワークシェアリングという発想は実質、単純肉体労働(主に工場労働)を中心に適用されている。詳しくは知らないが、日本ではあまり採用されていないが、欧米ではかなり採用されている。日本で言うならば、待遇が問題になる派遣工や偽装請負といった分野で、雇用が不安定 (3ヶ月や6ヶ月単位)、労働条件も過酷で、自殺やらで労災認定されたり裁判になったりしているケースが相当数ある。給料もだんだん安くなっている。

給料が安くなるのは労働市場の需給が労働者側に不利になっているからであり、経営者側としてはたとえば工場を海外に出して海外のより低賃金の労働者を雇うというAlternativeや、それこそ中国人やブラジル人を大量に連れてくるというAlternativeもある、日本人のなかでも安定雇用を受けられていない人の数が増えているので、市場原理に任せれば当然給料が安くなるし、かといって規制をしたら企業の国際競争力がなくなるというジレンマにある。

じゃあどうするの、ということだが、いくつかあると思うが、ワークシェアリングを強制するのはひとつの手である。こういう非熟練労働者の仕事こそワークシェアするべきなのは間違いない。ただ、休み少ない中で残業もたくさんして、それでやっと生活できる程度の給料をもらっている非熟練工をワークシェアさせてさらに給料減らすわけなんで、生活できないでしょう、っていうのはある。
そこに対するセーフティネットの改善は絶対必要。個人的には、ボランティアだと思う。それと、いわゆる基本的人権に相当するような生存権、食う寝るところに住むところというのをそこで補うだけでは十分でなくて、そういうあてもない単純労働に勤しむ人に精神的充足を供給するためにはどうしても宗教かそれに準ずるものが必要になると思う。主の名説教「金持ちとラザロ」を引き合いに出すまでもなく、乞食として生きても天国に行くことは可能で、ラザロのように生きられるならば、この世では敗者のように見えたとしても、実質最高の成功者といえる。が、「金持ちが天国に入ることは難しい」けれども、乞食ならばこの世のことはすでにあきらめているので天国だけを純粋に求められるか、というとそれはそうでもないのではないか、と思う。やはり食うのにも困れば、食うことだけを考え、場合によっては犯罪行為も辞さず、卑屈になる人が多数なような気もするのだ。そう考えると、ラザロはもしかしたらすごい人。

 話が逸れたが閑話休題、ええと宗教活動等のいいところは、非経済活動に生きがいを見いだせるところなので、精神的な生存権が脅かされつつある時代の要請にマッチするよね


少し別の視座

一方で、非熟練工の立場からして、海外の人と競争しなければならないということは、海外、つまり中国やベトナムやタイ、マレーシア、インドネシアなどの貧困層と同じレベルの生活水準で満足しない限り競争に負ける可能性が十分あるということになる。というか、日本のほうが生活コストが圧倒的に高いわけだから、場合によっては圧倒的にそれ以下だ。これは非常にシビアだ。貧困もグローバル化したわけだ。

政府、指導者層の立場からどう解決するかを考えると、
この問題に、日本人だけを守る方向で対応するためには、さまざまな保護と規制が必要になる。そして企業経営者は人件費の増大を受け入れなければならない。単純に言うとホワイトカラーとブルーカラーの間で完全な利害対立が生じてしまうので、非常に難しい問題になる。

その舵取りはそれでそれで極めて重要なんだと思いますが

グローバル化したなかで、他国の貧困問題がもはや自国の貧困問題と非常にダイレクトにつながる時代になってしまったんだ、というのが率直な感想で、驚きを感じました。
もう自分の国だけを守るということが難しく、自分の国の問題を解決するためだけだとしても発展途上国の貧困・経済問題に無関心でいられないんだなぁ と 思った。




日本と世界各国で
生きるのも苦しいほどの低賃金で暮らす人達に
せめて主の福音が届けられ、受け入れて
ラザロのように霊魂の平安が得られますように
そして
福音によって全ての人が愛を持って助け合い
貧困を減らしていくことができますように
主イエス・キリストの御名によって//
posted by アークツルス at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

あなたは、必要とされていますか。

この時期は、プロスポーツのストーブリーグ。FAなどで移籍する選手が皆口にするのは
「自分が必要とされるところでプレーしたい」



もちろん、レギュラーとして試合に出れそうなチームに移籍するのは自分の価値を高めるためにも当然な話で、その意味でこのセリフが出てくるのは納得感がある。だけど、いつも違和感を覚えるのは、(プロ選手のくせに)こういう人達が想像以上にデリケートで、客観的にみた「必要とされる具合」(たとえば、ジャイアンツみたいにサードのレギュラーがいないとか) 以上に、監督や経営者の「言葉」に飢えている、と感じさせるところだ。「お前が必要だ」「お前と一緒に優勝したい」そういう言葉の持つ力に負けて?場合によっては騙されて、移籍していく選手も多い。逆に、「おまえなんかいらないよ」的なフリをするのはあくまで年俸交渉のための駆け引きなんじゃないかなぁ、と思うんだけど、そのあたり割り切れる人は少なくて、無駄に傷ついたりする人も多い。ように、見える。

そして、仮に本当に「必要とされて」移籍したとしても、チームの編成も変わったり、状況も変わったり、経営陣も変わったりすれば手のひらを返されるケースも多い。そういう時、「必要とされる」というなんかウェットな感情面を中心にやっていた人だったら、きっとまた傷つくよね。だからプロスポーツ選手には、そういうところは最初からドライであって欲しいな、と思ってしまう。
 いや、普通の人もそのほうがいい。職場に、家庭に、非政府組織に、また組織としての教会に、そういうふうに依存すると、たぶんちょっと人より傷つく機会が多いと思う。

そこでドライになりきれないというのは、根本的な「誰かに必要とされたい」という人間としての欲求が、残念ながら満たされていなくて、それを職場とか、コミュニティに求めているからだと言ってみる。そして、気も狂いそうなほどに言いたい、

神様は、あなたを必要としていると。



お祈りします。
神様はすべての人、一人ひとりを必要としています。あまりにも愛しているからです。神様はみんなを愛して、そして多くの人は振り向いてくれなくて、悲しみの涙を流していらっしゃるでしょうか。神様、私はわかっていますから、私のことではどうか泣かないでください。そして、一人でも多くの人が、その愛に気づきますように。父と御子と聖霊の尊き名によって!
タグ:摂理
posted by アークツルス at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャーラン新弟子検査合格!初のアフリカ出身力士誕生へ

シャーラン新弟子検査合格!初のアフリカ出身力士誕生へ


というニュースがあった
相撲は八百長事件にも象徴されるように、古い世界なぶんいろいろ既得権益のしがらみが多くって何も出来ない ような感じ を受けるが、こういうのは希望的ですね。

外人ばっかり活躍して(´・ω・`)ショボーン ということではなく、わざわざ日本で一旗揚げようと将来ある若者が人生をかけて日本に来るわけだから、時代錯誤的な(殴って殺すとか)上下関係でなくて、スポーツを通して本当に意味のある教育をしてあげるべきだし、成功した人は人格的にもきっと素晴らしい人になって、そういう人が故郷に錦を飾ることに協会としても積極的に協力できる体制になってほしいよね。海外公演とか。
タグ:スポーツ
posted by アークツルス at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

摂理がつらいですか?

安心して下さい。僕もつらいです。





といったらある人に「アークツルスさんでもつらいなら僕には無理ですね・・・」とドン引きされましたorz

基本的につらいとかそういう悩みは、お祈りして御言葉を聞くと、つまり神様にカウンセリングしていただくわけですから、解決する場合が多いです。少なくとも真剣にお祈りすればきっと間違い無いですw

しかし、摂理はもうイヤだな…と思っていてはお祈りする気にはなりませんよね。もともと神様を信じていた方は別です。もう摂理がイヤになって、それでイエス様に「ここが本物ならば悟らせてください」とお祈りして悟った、という方の話を聞くことがたまにありますよね。

じゃあどうしよう、ということで私としては当初、いくつかアイデアを提示しようと思いましたが、
今週の御言葉を聞いてプロットが変わりました。。。天国に行く道は簡単ではないので、つらくて当然です。世の中でも、成功している人の人生が、つらくないでしょうか。喜びや、やりがいが大きいので、つらいとは思っていない人が多いかもしれませんが、当然仕事のプレッシャーは人より多いし、寝る時間も少ないし、自分の好きな事だけやるわけにも行かないんですね。

つらい理由はいろいろあるんだと思いますが、私がいま感じているのは、自分が生きたいように生きられないからつらいのです。私は食べることが好きですが、たとえば一日でも、昼飯抜くだけでも、断食をするとつらいです。お腹がすいてつらい、以上に、食べる喜びを味わえないことがつらいです。たった一食でも。それと同じです。

これは天国に行く道ではないので真似ないで欲しいですけれども、私自身は摂理にいながらもかなりの割合自分の生きたいように、やりたいことをやって生きてきたので、つらいと思うときは少なかったです。もちろん、時々御言葉を聞くと怒られているように感じて、つらかったです。しかしまぁともかく、それでもできることはやっているわい、ということで超プラス思考に考えて自分を納得させていました。そういう考え方も、生きる上では役に立つことがあると思います。私は一見プラス思考には見えないタイプですし、自分でもそう思っていたのですが、そう考えると自分勝手なくらいにプラス思考だったんだなぁ、と思います。

最近は、私も少しはマシになった筈です。天国に行く道を、私は歩めているでしょうか。
つらいということは、自分のやりたい用にできないもがきを感じるということは、その道は正しい道なのかもしれません。


お祈りします。
人生をつらいと思っている人がいるならば、そのつらさの先にある希望を確信することができるように。
人生を楽に生きてきた人、好きなように生きてきた人が、今立ち止まって考えているならば、それによって重ねてきた罪を主がお赦し下さり、悔い改めに導いてくださるように。
主イエス・キリストの御名によりて。アーメン
タグ:摂理 信仰
posted by アークツルス at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

摂理は進行中!パチンコ店が節電で休業したり。

先日駅前を歩いていたら、パチンコ店が普通に節電のために休業していた。そういえば、石原都知事が節電のためにパチンコと自動販売機は営業停止しろとか言ってたな。これって確かに納得感はあるのでそうしてしまったのかな。
でもウヨの石原さんが言うと、在日韓国人とか中国人への恨み憎しみから言ってるようにも聞こえてしまいますが(パチンコとかは、今はともかく、戦後長い間は在日外国人の稼ぎになった)。

それはともかく、自動販売機はおいといて、パチンコが閉店しても困ることはないわけだという一方で、当然ながらパチンコ屋さんとかそれに関わる商売している人は困る。
でもパチンコは社会福祉的には何も生み出してない(まぁ、私も宗教人なので偏ってますよ!娯楽には厳しいですよ!)んだから、その仕事はハッキリ言ってなくったっていいわけだ。そうすると、それに関わる仕事をしている人は、たぶん裾野産業入れると結構少なくないと思うんだけど、仕事しないで遊んでたっていい。まぁそれじゃ食えないわけですが。

で、世の中にはそういう「何も生み出さない仕事」が多くはないと思うけど、少なくはないと思う。もうちょっと言うと、何も生み出さないだけではなく、電力のことを考えてもわかるように環境負荷を与えてるわけだ。
そのマーケットが一応、あるから、やるわけだけど。でも、そういう仕事するよりは、摂理宗教活動するほうがいいよね。御言葉つたえるほうがいいよね。教会賛美歌うたうほうがいいよね。一歩譲って、子供がいるなら子供にかまってあげるとか、家族との時間を過ごすとか、ボランティアで本当に必要とされる仕事をするとか、健康のためにスポーツをするとか。
でもこういう仕事、活動はお金に変える手段が難しいからうまくいかない。マーケットがない。

ここからは話が飛躍するけど、そういう、ハッキリとした労働市場が成り立たない仕事が、もっと評価され、重要になる時が来る。来つつある。ただ、そういう仕事をする人はお金を稼げないから、そういう人たちに(もちろん、働きに応じて:働きが金銭換算できないから難しくなるけど)日用の糧やサービスを分配する仕組みが必要だし、また、そういう生き方を価値観として受け入れる文化的土壌が必要になる。

これは摂理でやってることと方向性が一致する。カネという分かりやすく測りやすい媒体を通貨とする代わりに、善意とか良心とか倫理観を通貨にするためには、(いや、完全に取って代わるということではなく、ある部分をReplaceというニュアンスですが)、宗教がお役に立ちます。

もちろん、宗教やってる立場からすると、世の中に必要とされるから宗教があるわけでもなく、神様が先にいて、その計画に従って世の中が変わっていくわけなんですが。これは私たちにとっては重要ですが、ま、表面だけを見ればどっちが先かはあまり関係ない。
タグ:摂理 経済
posted by アークツルス at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

原発の… 命がけの使役とイエス様

福島の原発を何とかするために、東電の技術者の方々が命がけで対応してくださっている。だいぶ拡散したニュースだが、定年間近の社員の方が志願して福島に向かったという情報もあった。文字通り命をかけて、多くの人々の命のために働こうという意志は素晴らしいし、またそれができる力(この場合は電気関係の技術)を持っていることにも心から尊敬する。まさに、2000年前にイエス様が全人類の霊魂の救いのために自らの命を差し出して罪人として十字架に架けられたこととだぶって見える。

一言、クリスチャンとして恨み言を言わせていただけるならば、イエス様が命を懸けたとき、その事をわかった人が本当に少なかったということが、あまりにも悔やまれる。多くの人は、ほんとうにイエス様を憎んでいたし、もうちょっと性格のいい人は、「可哀想に」くらいは思っていたか、また、イエス様を信じていた人は、単に「やられて悔しい」と思っていたか。命を救うために命を差し出したということを、わかってくれる人がどれだけいただろうか。

だから、そのイエス様の悔しさの分も、私たちの命のために戦ってくれている東電の方々の心意気に、心からの尊敬を贈りたい。




もう一言、言わずにはおられないけれども、摂理人として、私たちのチョンミョンソク先生も、命をかけて、私たちの霊魂の命のために働いている。濡衣を着せられて刑務所にぶち込まれ、犯罪者として蔑まれ、暗く寒く狭い部屋で暮らしながらも、朝から晩まで祈り、救いの御言葉を書き、ひとりでも命を生かそうと手紙を書く。もしチョンミョンソク先生のそんな生活をずっとそばで見るならば、彼を疑う人がいるだろうか。どうか、わかって欲しい。
posted by アークツルス at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

摂理のチョンミョンソク先生と救国の精神


前の記事で書いた、JFK曰く
ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.

について、考えてみるとうちの先生のことが思い出されたので。鄭明析先生はたびたび、特に韓国というお国柄忘れたころにいつも北朝鮮の危機がやってくる(今はわりとホットですが)たびに、国のために祈り、私たちにも祈りなさいと仰った。というか、私たちというよりは、韓国人の弟子たちに。

去年、朝鮮戦争50年記念の救国礼拝というのが韓国で行われ、アークツルスもたまたま参加してきた。やはり戦争はいろんなものをぶちこわしにするし、本当に避けたい。鄭明析先生も非常に強くそれを願い、祈ってきた。「自分を犠牲にしても、戦争を避けられるように」と神様に願い、それが聞かれて、先生が苦難を受ける代わりに世の中は平和に・・・ということもあった。

危機だから祈るというのもあるけれど、そうでない時も祈ろう。

つまり何が言いたかったかっていうと、政治を見るとなんかお先真っ暗感があるわけですが、政治とかって今の世の中無視しても生きられるから無視するというのでもなく、まず祈ることからはじめよう というのが、僕が摂理で先生に学んだことだと思う。
posted by アークツルス at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月31日

日本の政局はどうなる?

先日リュックサックを買いに行ったらそこのおじさんが政治談議をふっかけてきた・・・といっても、政治家は金儲かるからウンヌンカンヌン。小沢先生はセイリンシンだかへの出頭に応じる事になったようですね。だからなんだ、という気もしないでもない。小沢氏が言うように司法に任せればいいわけで、国会議員同士で裁判したところで正しい結果が出るのかどうかよくわかりません。冷静に考えれば。いちおう鳩山氏辞任のときにクリーンな政治を目指すということになって小沢氏も幹事長を辞めた筈なので、ここで抵抗するのは民主党的にはないような気もする。ということで強気な構えの人も多いんでしょうね。

とにかく早く利権政治と一線を画す政治ができる体制になってほしいというのがアークツルスの願いです。
しかし難しそうですね。。。利権政治というと農村など主に地方の特定支持基盤への利益誘導である一方そうじゃない支持基盤というのは今のところ都市浮動票で、利権をぶった切ろうとすると小泉政権のように確かに見てて気分はいいけれども実際どうなのよという人気取り中心の政治になる。というかそれが最低なほうに出ているのが小泉以降の政治かもしれない。人気取りをしようとしてそれすらもできていないという。

で、こういう政治をよくする方法ってあまり思いつかないのですが、一つあるのはやはり政治教育。高校くらいまでにもっと政策や政治について教えてしかるべきだと思う。たとえば消費税率の高さで投票を変えるような単純すぎる政治姿勢の人たちが変わらないとなかなか政治家に変われ、というのは難しいので。ああ、そういうNPOをやればはやるかもしれんね。そうすれば若年層も投票行くし。
それで、高度な政治運動や論議がなんか展開されたりすれば・・・でもそんなヒマないよねえ。でもネットならあるか。だからやっぱり基礎教育が大事だと思う。今の政治経済に関する教育はもしかして愚民に育てようとしてるんじゃね?とうがった味方をしたくなるような内容なので。憲法とかもいいですが、もっと実際的な教育を「公民」の授業とかでしないといかん。

JFK曰く
ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country.

タグ:小沢一郎
posted by アークツルス at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

摂理でアークツルスが学んだこと - 初恋

摂理で頻出する教えの一つに初恋というのがある。

ヨハネの黙示録2章4節
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。


きのうアークツルスはたまたま初恋について考え直すきっかけがあったのだが

有名なゴスペルソングのAmazing Grace2番
how precious did that grace appear the hour i first believed


信仰で初恋といえばこういうことで、なんていうか初めてイエス様を知ったとき、神の愛を知ったとき、感動的に神への愛が萌えた燃えたんじゃないか、それを忘れたのか、忘れんなよwという話

ぶっちゃけアークツルスの経験にそういうことはなかったのだが
摂理に一生ついていこう、とはじめて決心したときアークツルスが強く思ったのは、この道に出会わなければ私は生きていられなかったと感じたこと。kwskは別途機会があればまた書きます

生きていられなかった⇒生きていられるというのはマイナスをゼロにする力であってですね、愛っていうのはどっちかいうとゼロをプラスにする力じゃないとと思うんですが、まぁそれはそうかもしれないんだけれどもそんなことより、この思いがアークツルスにとっては真実だったので、この思い、恋というにはあまりにネガティブっていうか恋とか愛とかってかんじじゃないっていうかだけれども、が、私の初恋。
そう思って涙しました。
タグ:摂理 信仰 初恋
posted by アークツルス at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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