さて、日本でも、貧困問題が進行している、と感じる。
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摂理-出会いと対話-ポンソク牧師のブログより見て欲しい。
主は先生の口を通して「分かち合わなくちゃ」とおっしゃった、というのが、アークツルスの心に残っている。
この記事の核心は「愛する心」だったりするので、少し離れてしまうが、アークツルスが感じていることを書く。
分かち合う、すなわちワークシェアリングだ。ただ私が知るかぎり、ワークシェアリングという発想は実質、単純肉体労働(主に工場労働)を中心に適用されている。詳しくは知らないが、日本ではあまり採用されていないが、欧米ではかなり採用されている。日本で言うならば、待遇が問題になる派遣工や偽装請負といった分野で、雇用が不安定 (3ヶ月や6ヶ月単位)、労働条件も過酷で、自殺やらで労災認定されたり裁判になったりしているケースが相当数ある。給料もだんだん安くなっている。
給料が安くなるのは労働市場の需給が労働者側に不利になっているからであり、経営者側としてはたとえば工場を海外に出して海外のより低賃金の労働者を雇うというAlternativeや、それこそ中国人やブラジル人を大量に連れてくるというAlternativeもある、日本人のなかでも安定雇用を受けられていない人の数が増えているので、市場原理に任せれば当然給料が安くなるし、かといって規制をしたら企業の国際競争力がなくなるというジレンマにある。
じゃあどうするの、ということだが、いくつかあると思うが、ワークシェアリングを強制するのはひとつの手である。こういう非熟練労働者の仕事こそワークシェアするべきなのは間違いない。ただ、休み少ない中で残業もたくさんして、それでやっと生活できる程度の給料をもらっている非熟練工をワークシェアさせてさらに給料減らすわけなんで、生活できないでしょう、っていうのはある。
そこに対するセーフティネットの改善は絶対必要。個人的には、ボランティアだと思う。それと、いわゆる基本的人権に相当するような生存権、食う寝るところに住むところというのをそこで補うだけでは十分でなくて、そういうあてもない単純労働に勤しむ人に精神的充足を供給するためにはどうしても宗教かそれに準ずるものが必要になると思う。主の名説教「金持ちとラザロ」を引き合いに出すまでもなく、乞食として生きても天国に行くことは可能で、ラザロのように生きられるならば、この世では敗者のように見えたとしても、実質最高の成功者といえる。が、「金持ちが天国に入ることは難しい」けれども、乞食ならばこの世のことはすでにあきらめているので天国だけを純粋に求められるか、というとそれはそうでもないのではないか、と思う。やはり食うのにも困れば、食うことだけを考え、場合によっては犯罪行為も辞さず、卑屈になる人が多数なような気もするのだ。そう考えると、ラザロはもしかしたらすごい人。
話が逸れたが閑話休題、ええと宗教活動等のいいところは、非経済活動に生きがいを見いだせるところなので、精神的な生存権が脅かされつつある時代の要請にマッチするよね
少し別の視座
一方で、非熟練工の立場からして、海外の人と競争しなければならないということは、海外、つまり中国やベトナムやタイ、マレーシア、インドネシアなどの貧困層と同じレベルの生活水準で満足しない限り競争に負ける可能性が十分あるということになる。というか、日本のほうが生活コストが圧倒的に高いわけだから、場合によっては圧倒的にそれ以下だ。これは非常にシビアだ。貧困もグローバル化したわけだ。
政府、指導者層の立場からどう解決するかを考えると、
この問題に、日本人だけを守る方向で対応するためには、さまざまな保護と規制が必要になる。そして企業経営者は人件費の増大を受け入れなければならない。単純に言うとホワイトカラーとブルーカラーの間で完全な利害対立が生じてしまうので、非常に難しい問題になる。
その舵取りはそれでそれで極めて重要なんだと思いますが
グローバル化したなかで、他国の貧困問題がもはや自国の貧困問題と非常にダイレクトにつながる時代になってしまったんだ、というのが率直な感想で、驚きを感じました。
もう自分の国だけを守るということが難しく、自分の国の問題を解決するためだけだとしても発展途上国の貧困・経済問題に無関心でいられないんだなぁ と 思った。
日本と世界各国で
生きるのも苦しいほどの低賃金で暮らす人達に
せめて主の福音が届けられ、受け入れて
ラザロのように霊魂の平安が得られますように
そして
福音によって全ての人が愛を持って助け合い
貧困を減らしていくことができますように
主イエス・キリストの御名によって//
posted by アークツルス at 15:05|
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